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フシギにステキな素早いヤバさ

フシギにステキな素早いヤバさを追いかけて。俺は行くだろう。

映画『けいおん!』平沢唯の作詞について

けいおん!』を三回見に行きました。
映画けいおん!公式ホームページ|TBSテレビ
役に立つかはわかりませんがいちおうリンクを貼っておきます。


内容は多少のネタバレとなりますが、TVアニメを見ていれば既知ないし想定内のことであり、たいしたことはないと思うので、映画を見てない人も読んでもかまわないかと思います。

天使

映画では平沢唯が、彼女たちが制作中の楽曲「天使にふれたよ!」の作詞のことば選びで悩むシーンが2回あり、悩んだすえ最後に、ある論理(ここでその論理は述べません)を経由して結論が出ます。
その結論とは、ご存知の通りです。

でもね、会えたよ! すてきな天使に

天使にふれたよ! 放課後ティータイム - 歌詞タイム

当然ここで「天使」と形容されているのはあずにゃん中野梓)です。これが平沢唯の出した結論です。
平沢唯は劇中でアカペラで「でーもね あえーたよ すてーきな てんーしに」と、秋山澪田井中律琴吹紬の三人に歌ってきかせ、「いいね」と賛同を得ています。



ちなみにこの歌詞はメンバーみんなのアイディアで書かれているようで、映画館で配布されたハガキで確認できる田井中律バージョンの歌詞によると、りっちゃんは、

くたくたのカバンも うわばきも
ホワイトボードの落書きも
(中略)
一緒に写ってる 写真とキーホルダー

といったアイディアが完成形に反映されているようです。

音数律

さて、本題。平沢唯が悩んだのはあずにゃんに捧げる歌の作詞で「でもね、会えたよ すてきな(  )に」にあてはまる「天使」ということばへとたどり着く過程においてです。
彼女は、初めに「きみ」ということばでそれを歌ってみています。これには納得がいかなかったようです。

でもね あえたよ すてきな きみに

実際には「きーーみに」と4音の音数に対して3音を当てはめたような少し不自然な歌い方をしていました。だから、映画においては音数が短いことへの不満を抱えていたように見えます(もちろん、これは答えがすでに「てんーしに」だと知っている私たちが「きーーみに」を聞いて比較しているからそう見えるのでしょう)。


次に、卒業式へと向かう朝、自室でギターをつま弾きながら平沢唯は「こねこ」ということばを試しています。

でもね あえたよ すてきな こねこに

さきほど述べたように、この「きーみに」から「こねーこに」へ移る過程を目にすることで、3音の語から4音の語へという志向が平沢唯の音楽的な判断にはあったのではないかということがあらためて想像されます。それでも平沢唯は納得しないものの、登校する時間が来てしまい、部屋を出ていきます。

あずにゃんは天使

そこで集合した3人とおしゃべりをしているうちに、「てんし」ということばを発見するのです。それは具体的には「あずにゃんは天使なんだ」という直観によって得られたことばです。
あずにゃんが天使とはどういうことかについては、『セカンドアフター』におけるてらまっとさんの論考「ツインテールの天使」に見るべきものは多いと思います。
『セカンドアフター』vol.1 目次 - セカンドアフター公式ブログ
ちなみに、アレゴリーの概念が難しいので、ベンヤミン・コレクションの当該論文「アレゴリーとバロック悲劇」(『Amazon.co.jp: ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 (ちくま学芸文庫): ヴァルター ベンヤミン, Walter Benjamin, 浅井 健二郎, 久保 哲司: 本』所収、ちくま学芸文庫)にあたっていますが、こっちも難しいです。がんばってコツコツ読んで、どちらの本にも感想を書こうと思います。

そろそろ寝なければならない

にもかかわらず、僕は寝なければなりません。


アウトラインだけ書いておきたいと思います。平沢唯の作詞においては「てんし」が答えだったということから、遡行的に彼女の(意識にすらのぼらない)作詞における志向について、仮定(妄想)を楽しむことができます。

押韻による分節

先に挙げた三つの推移をもう一度確認してみましょう。

  1. でもね あえたよ すてきな きみに
  2. でもね あえたよ すてきな こねこに
  3. でもね あえたよ すてきな てんしに

ここでは「あずにゃん」という概念をめぐって、「きみ」「こねこ」「てんし」が意味的に等価なものとして置換されていっているのがわかります。
語のニュアンスを確認し比較するならば、

きみ
二人称によって、歌の「聞き手」と想定されるあずにゃんを名指し、呼びかける。ただし、「きみ」は抽象的なことばであるため、それを聞く誰にでも(またその人の思う「きみ」にでも)定位可能なことばである。関係性としては対等。
こねこ
あずにゃんの諸性質を子猫に擬えている。つまり、身長が低くて、子猫みたいに愛でたくなる梓の愛称として「あずにゃん」が用いられていたところから、隠喩的に「こねこ」ということばが置かれている。関係性としては「かわいい」として下に置く。
てんし
詩的な飛躍(誇張表現)ともとれる。そのような表現を用いて視点を設定することで見えてくる諸性質もある。詩の技法の一端にはそのような役割があるだろう。レトリックによって世界をあたらしく認識することは文学や作詞における価値だとも思われる。関係性としては超越的な「神」と異なり、人間と超越性を媒介する存在。ここではあずにゃんが、けいおん部が音楽の「神」に接続するための端緒となったことを示唆しているのだろう。


平沢唯はこのように「中野梓」という固有名の歌詞における表象として「天使」ということばの意味(役割・機能)にたどりつくまでの旅をしていたわけですが、ここにはその思考の旅を支える押韻と分節の志向があったのではないかと、遡行的に仮定することができます。
「きみ」が「こねこ」を経由して「てんし」へと至る過程で、どのような分節が起こるのかという変化を考えてみましょう。


まず、単に文法的な形式すなわち文節という単位での分節をみると、これはほぼ一致します。

  1. でもね/あえたよ/すてきな/きみに
  2. でもね/あえたよ/すてきな/こねこに
  3. でもね/あえたよ/すてきな/てんしに

音数律の変化だけに着目すると、「きみに」(3音)が「こねこに」(4音)または「てんしに」(4音)で解決されたように見えますが、上記で述べたように平沢唯はそれだけでは不満だったのです。


「きみに」から発生する押韻は先行する「すてきな」と共通する「き」の音による押韻です。
また、「こねこに」から発生する押韻は「こね」と「こに」に共通する「こ」の押韻です。
さらに、「てんしに」は「すてきな」の「て」の音が含まれています。
このような同一音の反復すなわち押韻が、文法的なレヴェルにおける文節とは違うレヴェルにおいて、グループをなし分節化すると想像したらどうでしょう。

  1. でもね/あえたよ/すて(き)な/(き)みに
  2. でもね/あえたよ/すてきな/(こ)ね(こ)に
  3. でもね/あえたよ/す(て)きな/(て)んしに

押韻がなんらかのマークとして働くとき、上記の例ならば左から右へと読みくだしていく過程でカッコを反復の開始記号のようにみなすならば、たとえば、

  1. きな/きみ
  2. こね/こに
  3. てきな/てんし

というふうに、初めの開始記号から次の開始記号までの間が一単位が構成されるのだと把握することもできます。
すると、前の2者では2音ずつで反復がされている(かもしれない)と思わせる形式になっているのに対して、最後では3音ずつで反復がされているように見えるという形式のちがいがそこにはあるのだと 「事後的に見れば」説明することができるかもしれません。

結論

ここでは、平沢唯の音楽的な志向(いわゆるセンスや直感や感性や美学)がこのメロディーのこの箇所において2音ずつではなく3音ずつのグループ(ゲシュタルト)として分節されることをのぞんでいたが、とあるきっかけによって「あずにゃんが天使」ということを発見することで「てんし」ということばを得、結果的に意味的な豊かさと音楽的な(彼女における美的な)志向とを満たすものとして、

でもね あえたよ すてきな てんしに

というフレーズは到達されたと僕は想像するのです。


そんなふうに、普段の自分の作詞スタイルと重ねあわせながら勝手に平沢唯に共感して見ていました。少しメタレヴェルに立てば、そのような「作詞する人にとってのリアリティ」みたいなものが映画「けいおん!」に見られるのだということなのです。


あなたなら、なぜあずにゃんが「歌詞において」「天使」ということばで呼ばれたのだと考えますか?