フシギにステキな素早いヤバさ

フシギにステキな素早いヤバさを追いかけて。俺は行くだろう。

萩原朔太郎『月に吠える』からSphere『Super Noisy Nova』へ(中の上)

前回は萩原朔太郎の詩「天景」を引き、そこに流れている押韻による各行の関連づけを指摘しました。
Sphereの『Super Noisy Nova』について話す前に、今回と次回は、「調性」とその確立のしかたを少し考えます。
「調性の確立」ということばはWikipediaによると「聞き手に調性を確実に把握させる」という意味を持ちます。
つまり、調性とは自明のシステムではなく、作り手と聞き手の間に置かれた約束事によって成立するシステムです。いや、正確にいうならば僕は、作り手が聞き手に「楽曲を明晰にわかってほしいために構造を明確に示す」システムなのだと考えています。

調性はなにをするのか

この項では僕の考えを述べます。今の僕の知識では、僕がこれから述べるようなことが書かれた本やブログを引用することができないので、自分の言葉で書きます。
僕の考えでは、今述べたように、調性とは作り手が聞き手に「楽曲を明晰にわかってほしいために構造を明確に示す」システムだろうと思います。
どういうことか。
たとえば、書き言葉をとおして考えてみましょう。
口語で「好き」と言えば、目の前にいるあなたにわたしが「好き」と伝えることができます。
書き言葉においては、「好き」という文は何かを暗示することはできますが、メッセージを明示することができません。
ここにおいて明示をするためには、主語と対格(目的語)が最低限必要です。
「私はあなたが好き」この表現によって、関係を明示することができます。
さらに、「私はあなたが好きだ」「私はあなたが好きだった」「私はまだあなたを好きでいる」と言い切りの表現をつかいわけることで状態を明示することができます。
このように、「明示するためのことば」としての書き言葉は、システムとしての主語や述語、時制や格の表現を大切にしています。
そして、

  • 相手に曖昧な印象を与えたくない。
  • 相手に明晰に理解させたい。
  • 徹頭徹尾、正確に理解させたい。

このような欲望は、表現形式を自己ルール化する、すなわち定型化によって、相手の思考に自分のシステムを移植して「意図したとおりの明晰さ」で理解させようとねらいます。


西洋音楽における調性システムは、「なんかこう、熱い感じあるじゃん?」とか「もっとこう、ドゥンドゥンした感じ」とかいう表現で伝わるような曖昧なイメージではなく、「CとGを中心音とした7音の美的構成」とか「CとGがこのように配置され、DEFがこのように構成されることは美ではないか?」といった明晰な表現を志向しているのではないでしょうか。ここでいう明晰とは、作曲者の伝達したい内容がノイズなく聞き手につたわるという意味で使っています。


このような欲望に基づいて、西洋音楽における記号的な調性システムは作りだされたのではないかと僕は考えています。アカデミックな裏付けは今のところできません。もし心当たりある方は教えてくださいませ。
さて、「楽曲を明晰にわかってほしい」調性システムはどのように「構造を明確に示す」ことを実現するのでしょうか。

メロディーや和音が、中心音 tonal centre と関連付けられつつ構成されているとき、その音楽は調性 tonality があるという。伝統的な西洋音楽において、調性のある音組織を調(ちょう、key)と呼ぶ。
狭義には、伝統的な西洋音楽において、全音階 diatonic scale の音から構成される長調 major key と短調 minor key の2つの調が知られ、それぞれ全音階のドの音とラの音が中心音である(長調短調の場合には、中心音を主音 tonic と呼ぶ)。すなわち、長音階を用いる調が長調であり、短音階を用いる調が短調である。

調 - Wikipedia