フシギにステキな素早いヤバさ

フシギにステキな素早いヤバさを追いかけて。俺は行くだろう。

その声がいい。appleton hartree というバンドについて

今僕が応援しているのがこのバンドだ。
宮城県で活動している4ピースのバンド。
今度、彼らが「出れんの!?サマソニ!?」というイベントでしのぎを削らなければならないと聞き、応援したいと思った。
出れんの!?スパソニ!? 2020
(投票によってサマソニに出られるらしい)
そもそも僕が音楽の批評言語が必要だ、と思ったのは、こういったインディーズバンド、自分の目の前にいるすばらしいバンドについてなにがしかを語りたい。そんなことばを手にしたいと感じ続けてきたのが発端だ。
歌詞の分析にかんしては、たんに自分の個的な感覚や趣味でやってきたことであり、批評を目的としていたものではない。
僕が願ってきたのは、音楽の形式や、パフォーマンスのスタイルや歌詞の意味や歌い方を通じて、自分のアンテナに引っかかった音楽について語りたいということだ。


そこにはロック、J-POP、アニソン、ボカロなんていう区別はない。端的に僕は「歌」について語りたいのだ。
こういうバンドを称揚し、分析し、批判し、ことばを敷衍できなければ、僕の願いはまったく達成されない。
にもかかわらず、いまだに僕はさっぱりこういったロックについて語ることばを持たないでいるのかも知れない。
下記の動画で appleton hartree は3拍子の楽曲をライブ演奏している。文脈としてはポストロックに属するのかも知れない。
だが、そういった説明ではとらえられない、この音楽に流れる様々な感興を「ことば」で、「文字」で、語れるならばそれは非常にポータブルな「示し方」だから僕はそれを重視したいのである。
たとえば歌詞中、「簡単な物語は」というフレーズに僕の耳は引かれた。そして僕はこう考える。「なぜそれに俺は引かれたのか?」と問う。


形式から見れば、3:30あたりからみられるように、彼らの音楽は3拍子1小節のフレーズを反復しミニマルに展開し、小節を分節化するような姿勢にみちている。
それこそが僕の述べた「ポストロック的」という表示の意図するところだ。
ポストロック的であるとは、「1・2小節のミニマルな反復」と「その中でなにかをリズミカルに分節化していくような態度」によって、たとえば特徴付けられるのだと僕は考える。そして先に挙げたような「かんたんなものがたりは」に宿る「た」の音のミニマルな反復から、歌詞全体における「た」の音の押韻的な役割ということについて想像を駆動させてみることは可能だ。


だが、語りたいことはそんな音楽性についてではない。
appleton hartree について僕が評価しているのはその声だ。ひとつは声そのものについて。もうひとつは歌のアーティキュレーションすなわち節回し、歌い回しについてである。歌を発音と声にわけて説明してみよう。


第一に、彼の発音は「も」「な」「わ」の音などにみられるように、「あえて」明瞭に、ふつう日本語においてはあいまいに発音される音を「明瞭に」きかせようとしている。これはヒップホップにもみられる日本語の音をある種の記号におきかえて、押韻や歌詞のとあるゲームのルールにひきこむための戦略のひとつだろう。
第二に、彼の声は舌をできるだけ下顎すなわち下のあごに接しておくようにする調声がきかれる。口のなかの空間をできるだけひろめにとり保つことで、母音の響きをやさしくしようとつとめているのである。
この声が、ポストロック表現において「自意識」が頭をもたげようとするのを回避しようとしているのではないか。

◇About us
appleton hartree(アップルトハートレー

個々のメンバーが出過ぎること無く、
全体で一つの楽曲をまとめあげるように努めています。
なるべく耳に痛くないサウンドを目指しています。

■2009年8月:バンド結成
■2010年3月:初ライブ
■2011年4月:RO69JACK2011 一次選考通過
■2011年5月:自主制作音源リリース

地道に活動していきたいと思います。
会場に足を運んで頂けたら幸いです。
◇メンバー
佐々木Vo/Gt./ 佐藤Gt./ 堀田Ba./ 今井Dr.

http://appleton-hartree.jimdo.com/about-us/