フシギにステキな素早いヤバさ

フシギにステキな素早いヤバさを追いかけて。俺は行くだろう。

2011年9月4日発行『ボカロクリティーク』Vol.01の紹介です。(その2)

前回(2011年9月4日発行『ボカロクリティーク』Vol.01の紹介です - みらくる明るいセカイ)のつづきです。
ひとつあたり2時間ぐらいかかってるので更新が遅くなっています…すみません。

04:日大藝術学部准教授 青木敬士さん

LAで行われたミクノポリス。そこで青木さんが体験し感じたことをもとに、電子の歌姫としての初音ミクのパフォーマンスと身体性について整理した小論です。

等身大のミクが手を上に伸ばし、ジャンプすれば端に届いてしまうサイズのスクリーン(…)だがそれと引き替えに、彼女は、生バンド、生ストリングス隊と同じ層(レイヤー)の現実に存在することを許されたのだ。

テクノロジーと一回性(あるいは反復性)という抽象的な議論を経由して最後に述べられる上の引用のようなことばから、自分がその場にいなくて体験しえなかったミクの「存在感」をみんながどのように受け取ったか。それが僕にも理解することができるような気がしました。

05:ゲーム音楽作曲家 ニケさん×島袋八起(僕)

僕がかかわっている筑波批評という団体の人間関係を通して知り合った白石昇さんからの仲介で、タイ人のニケさんにインタビューをすることができました。興味深いと思ったのは、日本の美少女ゲームなどにも通じ、タイの美少女ゲームStudio GU「Re Angel」の音楽作曲も手がけているニケさんが、そのようなキャラクター消費をおそらく実践的に理解しているにもかかわらず、ボカロの消費をそのようにはしていないと思われた点です。ニケさんはボカロを人間の「声」や「歌唱法」をリアルに再現するようなツールとして評価しているようです。却ってまた、自分の声というものを(エフェクトをつかわずに)裏声を用いて別の性(つまり女性)へと変化させることについてフラットな考えをニケさんがもっているらしいことも、僕には新鮮な感性のように思われました。

06:HazardLumpさん

同人、商業、配信などで流通する「ボーカロイドのアルバム」の形態を整理することでボカロ音楽の聴取の生態系を考察する文章です。本文の構成は次の通り。

はじめに/なぜわざわざアルバムの形で聴くのか?/商業アルバム/配信アルバム/商業コンピレーション/同人コンセプト・コンピレーション・アルバム/「ボーカロイドのアルバム」って何だろう/結びにかえて

「商業コンピレーション」の項に、もっとも字数が割かれていて、HazardLumpさんのおそらく熱のこもっているであろう文章からはそこにかける期待や複雑な思いが伝わってきます。護法少女ソワカちゃんDVD*1やKNOTS『ヘルメンマロンティック』、cosMo×真優『少女の空想庭園+』を流通させていた「LOiD」レーベルを推すと同時に、その消滅を嘆く気持ちが具体的な実例としてこちらに伝わってきます。文章の末尾に付録された4枚のVOCALOIDアルバムについてのレビューも本文とおなじ重みで釣り合う面白さがあると思いますので、立ち読みなどするときはぜひ目を通してほしいです。


あと二回ぐらい更新します。

*1:ラバーストラップ持ってました。沖縄の田舎の塾で働いていたとき、中学生に「先生、それ初音ミク?」ときかれたときにボカロ消費の一端を見た気がしました。