【訳してみた】現象学とはなにか from SEP
たんぽぽさんのつぶやきが面白かったので、「現象学みたいな考え方っぽい」とつぶやきました。
音楽はふれることはできないけど、歌っていると指でそっとなぞっている気分になるってことですー
— 茜涼夏a.k.a泡沫たんぽぽ@作業をたくさんする (@akanesuzuka39) 2013年4月16日
@yaoki_dokidoki やおきさん、現象学とは何ですか。 調べてはみたのですが、よくわからなくて……説明を読めば読むほど「?」が増えて行きそうです。 もちろん、自分でも学んでみようと思っています。 よろしければ、ヒントを下さい。
— 茜涼夏a.k.a泡沫たんぽぽ@作業をたくさんする (@akanesuzuka39) 2013年4月16日
質問されても応えられるわけがないので、Wikipediaを読みましたが、「還元」とかいわれてもよくわからない。
ここで一句。
哲学で困ったときはSEP
というわけで、SEP (Stanford Encyclopedia of Philosophy)に頼ることにしました。
ソースはここ。必要最低限に途中まで翻訳しました。間違いはたくさんあるであろうことはご了承ください。
http://plato.stanford.edu/entries/phenomenology/
【私訳】現象学の概要
現象学とは一人称視点から経験されるものとしての意識の構造にかんする研究である。ある経験の中心的な構造とは、志向性、すなわち何かに向かって方向づけられているありようにある。なぜならそれは何らかの対象の経験、あるいは何らかの対象についての経験だからだ。経験とは、それを可能にする適切な状況とともにそれの持つ内容あるいは意味の効用(それが対象を代表している)によって対象へと方向付けられることなのである。
学問領域としての現象学は他の主要な哲学の学問領域、たとえば存在論や認知論、論理学そして倫理学などとははっきりと異なると同時に、それらと関連してもいる。現象学は様々なかたちをとって数世紀にわたって実践されてきているが、自立したかたちになったのは20世紀初期のフッサールやハイデッガー、サルトル、メルロー=ポンティその他による仕事によってだった。志向性、意識、クオリア、そして一人称視点といった現象学的な問題は、最近行われている心の哲学において重要な問題となっている。
【私訳】 1.現象学とは何か?
現象学とは一般的には2つの方法で理解されている。すなわち、哲学の一領域として、もしくは哲学の歴史におけるひとつの運動としてである。
現象学という学問領域は、まず、経験あるいは意識の構造についての研究として規定されるだろう。文字通り、現象学とは「現象」に関する研究である。すなわち、ものの見かけや、それらがわたしたちの経験のなかでどう見えるかや、もしくはわたしたちがどのようなやり方で物事を経験しているか。したがってそれはわたしたちの経験において物事が持つ意味についての研究なのである。現象学は、主体すなわち一人称の視点から経験されるものとしての意識の経験を研究するものなのだ。するとこの哲学の領域は、哲学の中心的な別の領域から区別されて、かつそれと関連をもつ。その領域とは、存在論(存在について、あるいは存在とは何かについての研究)、認識論(知識についての研究)、論理学(妥当な推論についての研究)、倫理学(正しい行動と誤った行動についての研究)などである。
歴史的な運動としての現象学とは、20世紀の前半でエドムント・フッサール、マルティン・ハイデッガー、モーリス・メルロー=ポンティ、ジャン=ポール・サルトル、その他によって立ち上げられた哲学的な伝統である。その運動において、現象学はあらゆる哲学についての適切な基礎として、すなわち倫理学や形而上学や認識論に匹敵する学問領域として高く評価された。その学問領域の方法と特徴はフッサールと彼の後継者たちによって広く議論され、これらの議論は現在でもなお引き続き行われている(上記の文章で示した現象学の定義は、例えばハイデッガー主義者達からすれば未だに議論の余地があるだろうが、それでもなおこの学問領域を特徴付けるスタート地点であり続けている)。
最近行われている心の哲学において、「現象学」ということばはしばしば見ることや聴くことなど、知覚的な性質の特徴の説明に限定されて用いられることが多い。すなわち、様々な種類の知覚を持つということはどういうことなのかなどについてだ。しかしながら、わたしたちの経験はふつう、単なる知覚だけというよりも、もっと内容において豊かである。したがって、現象学的な伝統における現象学の定義は、わたしたちの経験で物事が持つ意味、とりわけ、物体や出来事、道具、時間の流れ、自己、そして他者の持つ意義を、それが生起するものとして、わたしたちの「生き生きした世界」で経験されるものということを強調しながら、より広い幅をもって与えられるのである。
コメント
とりあえずここまでデス。
音楽の現象学とかもいつか勉強したい。
じゃぶらさんからのメモ。
椎名亮輔 (2008). 「音楽の現象学――演奏の審級」 山田陽一編 『音楽する身体 ――〈わたし〉へと広がる響き』 昭和堂、デヴィッド・サドナウ (1993). 『鍵盤を駆ける手――社会学者による現象学的ジャズ・ピアノ入門』 徳丸吉彦・卜田隆嗣・村田公一訳、新曜社
— jabrafcu (@ja_bra_af_cu) 2013年4月16日