フシギにステキな素早いヤバさ

フシギにステキな素早いヤバさを追いかけて。俺は行くだろう。

【メモ】文体と語彙、概念操作と読者について誰かがつぶやいていた

『フミカ』では、必要ないときは出来るだけ平易な言葉遣いをしようと心がけていることはあって、それは高校生だった頃の自分とかに「ことば」を与えるものだったらいいなという願いがあったりするからだ。そのとき、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』のフィービー・コールフィールドみたいなみずみずしい世界の捉え方で書けたらいいよな〜とか思ったりする。ぼくにとって世界の捉え方とは、まず文体や語彙の選び方のことだ。

筑波批評』の方では、シノハラさんから、逆にあまりくだけた書き方をしなくていい、と示唆されたこともあり、語彙や文体にあまり制限をかけずに、「レトリックで書いてる」とは思われないようなプレーンな記述だけは心がけながら、書いている。こっちの方が文体とかに気を使わないでいいので楽ではある。

フミカは、自分が不必要に難解な言い回しをしていると感じたら、いちいちニュアンスや概念の範囲を壊さないように語彙を書き換えたり、ロジックを分割して少し単純化して記述している。

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自分でルールを決めているのに、少し思考が働きはじめると、気づいたら衒学的な語彙、難しそうなレトリックがサッと出てきて、上図のヒナギクのように、「バカバカ〜! フミカのバカ〜!」といいながら頭をポカポカなぐってしまう。

すぱんくtheはにー

Twitterですぱんくさんが下記のポストについてコメントをしていたのを見かけた。

面白いと思ったのでメモした。

補足

ちなみにぼくは大学では国文学を専攻していて、好きな小説家とかパクりたい小説家とかがいた。文体分析をして、それをもとに構造をパクろうとしたのは、芥川龍之介の衒学的な文体や、初期の大江健三郎(『芽むしり仔撃ち』)の衒学的な文体、太宰治のスキッとしているがへんに長くて饒舌な文体、初期の村上春樹(『羊をめぐる冒険』、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』)などであった。

また、批評的な文を書くに当たっては、大澤真幸(『身体の比較社会学』)や初期の東浩紀(『存在論的、郵便的』『郵便』)を品詞でコード化し、その構造を元に書いていた。

大澤真幸の文体は、主語の捉え方がとても面白く、たまにああいう文体で書くと世界が変わって見えて面白い。