杉本克哉・個展「みえる、みえない、みる、みない」レビュー、その2
前回につづいて、その2。
まずは資料集
イグジスタンス・シリーズ
以下、実際の作品名は英語表記です。
つまり、『Existence』。存在という意味ですね。
展示の冒頭に掲げられていた(正確には、この前に杉本克哉の制作スタジオ再現のコーナーがありますが)絵が、これです。
いかにも現代アート的ですが、何がいいのかわかりませんよね?
とにかく、ただよう現代アートっぽさと、左からの木目→ペイント→木目→ペイントという様式が気にかかります。直観的に理解できないなら解読するしかない。
タイトルは『イグジスタンス 02』でした。
イグジスタンス=存在って非常に曖昧な概念であり、(杉本克哉さんご本人もおっしゃっていましたが)どんなありようも基本的にはイグジスタンスでしかないです。タイトルからは読み解けない。
そこで、作品に許される限り近寄って注視してみました。
現場でのログ。
エグジスタンス02 2枚の板に着彩している。どうも木目をなぞっているかもしくは描いているかしていて、本物の年輪を見ているのか、そうでないのかわからなくなってくる。 pic.twitter.com/KJHtkNvwNb
— エウレカセブンやおきィクラウズ (@yaoki_dokidoki) September 29, 2013
現代アートの個展のいいところは、
- 作家が生きている
- したがって、作家がその場にいれば質問できる
の2点です。
音楽のライブハウスでは「そんなの邪道だろ」なんて思いながらも、バンドのライブをみて、MCを聴いて初めてその人となりに関心をもち、帰り際をCDを買うこともあるし、それはそれで「現代」の利点だろうと肯定的に考えています。
おなじように、現代アートでもまた、ギャラリーにたまたまアーティストがいれば、勇気を出して話しかけてみるのがいいです(ぼくはホントは苦手なのですが)。
杉本さんはたまたま何度かおつきあいのある作家さんだったので、「これって、ベニヤ板に着彩して木目を描いているように見えますけど、どうなんですか」と質問してみました。
(内心は、「こいつアートの基本的な技法もわかってないのか。見りゃわかるだろう」とバカにされたらどうしようと弱気に考えたりもしますが、おおかたの作家さんは丁寧に説明していただけることが多いです)
さて、写真をもう一瞥すればわかりますが、この作品は中央の縦線が奥行きのある影になっており、実際に2枚の左右のパネルによって画面が成り立っています。
ご本人の解説によると、画面はこのように構成されていました。
- 左側:知人宅の壁を壊したときの廃材(アーティストが住んでたせいか、すでに木目にペイントがされていた
- 右側:その廃材を、杉本さんがテクニカルに模倣し再現したもの
つまり、杉本さんの(おそらく)恣意的な切り出し方により、いかにも人工的に描き出した「作品」のパーツにみえるものの、実際のところは左側は人(アーティストですけど)が自然に暮らす中で生み出した生活の痕跡であり、「本物」というわけです。
右側は、鉛筆や画材によって、ベニヤ板上に作家の技巧が作り出した、「本物」の再現、すなわち「フェイク」です。
したがって、この画面は左から順に「本物→フェイク」という「模倣」のリズムによって形づくられています。同時に、そのリズムをさらに細分化するように、「地の木目→着彩された太い縦線→白く塗られた面」というユニットが画面を縦に分割し、また横に分割する要素として少し複雑な木目の水平のリズムの分割と、一本の細い溝と白い線が見られます。
とここまで鑑賞しても、結果的に、「ふーん。確かに、本物を模倣してフェイクを描いて、並べてるというのは面白い。けど、つまりこれは何がやりたいんだ」という感じになりますが、展覧会で並べられていた同シリーズの他の作品へ目をやると、形式的な意味が見えてきます。
次回につづかないかもしれないし、つづくかもしれない。