【レビュー】大谷能生「二つになる一つのもの(グルーヴとは何か?)」
ロックをやっている(た)ぼくにとっては、特にブラックミュージックの方がよくつかうグルーヴ概念について、前から関心を持たずにはいられません。ことさらにマジックワードに見えてしまうわけです。ロックでいうと「それはロックだ」というラベリングぐらいにマジックワードに見えます。
今日こういうまとめ記事を見つけました。
グルーヴ感てなんだよwwwwwwwwwwwwww | ライフハックちゃんねる弐式
46 :名無し募集中。。。:2013/10/14(月) 23:56:13.65 0 ID:?
簡単に言えばゴーストノートをシンコペーションしてクロマティックを意識しながらダブルストップでペンタトニックするのがグルーヴ
これはまあ冗談ですがね。
デジタル大辞泉によると次のように定義されています。
1 溝。
2 ジャズやロックなどの音楽で、「乗り」のことをいう。調子やリズムにうまく合うこと。
そこでですよ。図書館にいってきた
ひさびさに区立図書館に行ってきました。そこで、高校生男女が勉強する間に挟まって、2冊ほど本を読みました。関心あるところだけです。それで、たまたま大谷能生さんの本を見つけて立ち読みしたらグルーヴについてエッセイを書かれていたし、興味深いなと思ったのでその節だけ拾い読みしてきました。
これはそのレビューです。
ソース
大谷能生、『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』、ほんの雑誌社、2013年
上記の本の冒頭に収録されている「二つになる一つのもの(グルーヴとは何か?)」(pp.8-20)と題された書き下ろしのエッセイについてまとめます。関心や批判のある方はぜひ読んでみてください。
レビュー
本エッセイは冒頭でDJ Krushの『Strictly Turntablized』とDJ Vadimの『U.S.S.R Repertoire』の二枚を挙げ、ブレイクビーツというものを主題化する。
大谷がくりかえし強調するのは、ブレイクビーツにおけるサンプル(素材/引用元音源)は、帰属していた元のレコードの時間をそれぞれに有しており*1、複数の固有な時間たちが「現在」としてひとつにくくられて鳴らされている、ということだ。
本エッセイのタイトル「二つになる一つのもの」とはこの状態をさしている。
この発見から遡行して大谷はブラックミュージック、つまりブルース、モダンジャズ、Pファンク、R&Bといった音楽にも共通してみられる性質を指摘する。ひとことでいえば、「グルーヴ」である。
ではグルーヴとは何か。大谷は本文で次のように定義している。
現実に流れる時間のなかで、複数のものが一つになり、一つのものが複数に分岐してゆく——ブレイクビーツに聴き取ることが出来るこのような振動状態を、ぼくは「グルーヴィー」と呼びたい。(p.16)
このような定義から、大谷はキスやセックスをグルーヴィーなものと説明する。他には、レコードの溝と針、ダンス、演技などが挙げられる。
さらに、今ここで実験できるグルーヴの例として、地球と自分の身体との、分岐と合流を反復的に体験する方法として、その場でくりかえしジャンプする実験を挙げる。これはアフリカのポリリズムとも絡む話であり、根本的にはダンスが重力による地面と身体との分岐、合流という「グルーヴ」であることを示唆している。
また、発話や言葉という、「声と文字とのあいだで振動する」ものをやはりグルーヴィーなものの例として挙げている。
具体的な例として挙げられているもので面白いのは次の引用箇所である。
ロバート・ジョンソンが繰り返すギターのリフを体験しているうちに、そのリフレインの微妙な歪みを支えている2と3の複合表紙の存在に気が付き、また、歌とギターがほとんど対立するかのような異なった層を作って鳴らされているのを聴きとることが出来るようになる。チャーリー・パーカーはそのブルースのなかに機能和声という西欧近代の知性を突っ込み、ドレミの力で反復を細分化するという離れ業を演じた。P-ファンク軍団は偽史を語ることを通じて、ステージの上と下にいるすべての人間を二重化しようとする。ダブとはそもそも、一つの音が何度も異なった姿になって帰ってくるという経験に他ならない。(p.17)
上記の引用箇所で「ドレミの力で反復を細分化するという離れ業」というのはよく理解できないが、グルーヴという概念をとりあえず定義するひとつの見方は得られたと思う。
*1:これはたとえばサンプルの持つ固有の音質やリズムに保存されているようである。本来それらのサンプルたちは、帰属していたレコードをひとつの作品として成り立たせるためにそれらの固有の性質を与えられていたはずだからだ。