ステートメント:生活費ガチャとは何か(前編)
クリエイティブな生き方というのは、面白いと感じることにより重いコストをかけ、つまらないと感じることにより軽いコストをかけることだと思う(ここでいうコストとは、もちろん単に金のことだけではなく時間のことも指している)。
生活費ガチャとは、「生活費」すなわち家計の中でも最も身近であり、かつ生きていくのに必要な費用である支出について、偶然性、ゲーム性を導入することで、生きることをより楽しいと感じるための装置である。
また、これは現代アート作品として提出されている。ヴァージョンは現段階でα、β、γがあり、今月からδをスタートしたいと思っている。
オリジン
生活費ガチャの成立は2013年11月5日である。
経緯を述べる。
この作品は、当時、貯金が一切なかった(現在もないが)ぼくが「今月は給料日まであと20日あるのに現金が15,000円しかないぞ!」というヤバイ事実に気づいたショックへの対処に由来する。ふつうに考えれば、15,000円を20日でわると1日あたり可能な支出が750円となるが、ぼくはそういう考えを貧しいものだと感じた。そういう狭っ苦しい精神で20日間生き延びることが我慢ならなかった。
なぜなら、敬愛する寺山修司的な発想に基づけば、手元にあるお金を平均して使おうとする態度は極めて受動的であり、クリエイティブではないからだ。クリエイティブでない生き方というのは退屈である。
それに反発してクリエイティブな生き方を考えるなら、日ごとに支出が全然均されていない金の使い方をすることである。
そこでぼくは、当時バズワードでもあった「ソシャゲー」のシステムである「ガチャ」という概念にヒントを得た。そして、貧しい支出に能動的にコミットすることで、スリリングでクリエイティブな支出へと変換するというコンセプトを提出した。
コンセプト
生活費ガチャのコンセプトは明瞭で、「生きるために生きる」ということである。このトートロジーが意味するのは「より良い生をもとめて生きる」ということである。そしてまた、「生きること自体が生きていくことを駆動していく」ようなエナジェティックな生き方への志向である。
これはぼくが18歳の時に、親友が否定的な精神状態に陥った結果、自殺してしまった、という体験に根ざしているような気がする。
ぼくは生きていたい。
この強烈な欲望により、生活費ガチャが目指しているのは単に美的だとかアート・プロジェクトとしての純粋な成立することではない。「死ぬまでに楽しく生きるために」というのが動機であり、つねに達成するべき目標である。
したがって、ジャズで「スウィングがなければ意味がない」というのと同等に、生活費ガチャでは「楽しくなければ意味がない」。生活費ガチャは、楽しくなければ作品としてなんら意味がない。
ルール
前述の理由により、生活費ガチャのルールは毎回変動する。なぜなら、「幸せ」「楽しい」という価値観の基準は生きていくなかでつねに変化し続けていくからだ。たとえば、先月はアートにコストをかけるのが幸せであったが、今月は音楽にかけるほうが幸せかもしれない。
そういった自分のなかの機微を感じ取らずに感覚を鈍磨させていくだけなら、生活費ガチャなどいらないし、そんなものアートではない。
その前提に立った上で生活費ガチャのルールを述べる。
- ガチャを1回回すのに支出が要る
- 景品は現金を用いる
- 日々の生活費への支出が偶然性に基づいて決定される
生活費ガチャの詳細については、後編で述べたいと思う。