フシギにステキな素早いヤバさ

フシギにステキな素早いヤバさを追いかけて。俺は行くだろう。

クソみたいな小説

いくらかのお金をポケットに入れて、高円寺のクソみたいな展示から、汚れちまった過去形の街へと向かう。

どうでもいいことばかり大事そうに語って、すぐ忘れる残酷かつクソな野郎たちが溢れている。金を切符に代えて、電車に乗り、電車を降りる。すると、左のポケットから高円寺のクソみたいなフライヤーが出てくる。ゴミ箱に捨てた。

先日オレに偉そうにネチネチと絡んで、歯に物の挟まったような言い方でイラつく嫌味ばっかりふっかけていたクソみたいな40代前後の大先生にいまだにイラついていた。「お前らみたいなのがちゃんと文化を知的に語ってこなかったから、クソみたいなつまらないテーマに若者が取り組まなくちゃならないんだろうが。クソみたいな地獄の底から俺の足もアイツの足も引っ張るな」とグダグダとつぶやいてばかりだ。毎日毎日。マウントレーニアのコーヒーを100円ローソンで買ってストローを噛み潰してストレスを発散する。

俺は犬か。

LINEを開いて、大好きな女の子に絵文字を送る。とりあえず。

返事はない。仕方ない。今オレに必要なのは愛なんだ。ちょっとしたサイズの適切な平和と愛。

2番目に好きな女の子にはテキストを送る。「こんにちは。今日はクソみたいなイベントに行きます。一人じゃ絶望的なので、一緒に行きませんか?」

「こんにちは〜。そうですね。ちょっと待ってください[焦る]」

ちょっと待つ間にiPhoneから流れてきたのはSEKAI NO OWARIANTI-HERO。2曲目に飛ばす。Homeというタイトルだ。ベースラインがいい。

「僕たちは手作りで家を作った」という歌詞を聴いていると、彼らがシェアハウスに住んでいるという都市伝説みたいなエピソードをどうしても思い出さざるを得ない。Safariを開いて歌詞を検索する。「こんなこと言ったらダメかもしれないんだけどさ」というフレーズの含みがどうしても気になってしょうがない。後続のフレーズにはそこまで強い論理的な結びつきはないのかもしれないな。

LINEが鳴った。速攻で開く。行ってくれるかな?

「14時から2時間ぐらいならおつきあいできしょうです」

……「できしょうです」じゃね〜よ!

八九寺真宵か!」

「失礼、亜美真美た」