フシギにステキな素早いヤバさ

フシギにステキな素早いヤバさを追いかけて。俺は行くだろう。

記号化、「Super Noisy Nova」がのばした手のすばらしさ

和音そして和声という見方は、垂直音程を記号化するための視点でしょう。*1

ある音程の積みかさなりかたを「ドミソ」「ミソド」「ソドミ」はすべて「ドミソ」というおなじ3音どうしの順列にすぎない(つまりこれらはひとつのコードである)とみなしたり、小節という区切りのもとで「強拍における音」「中強拍における音」に注目し、おおざっぱにとらえて整理しなおすことで、複雑さにみちた音のかたまりたちを操作しやすいものにする。これが和音という記号的な見方のひとつのねらいだと思います。

記号化と操作

そのような視点からの記号化による音楽構造の整理、旋律や垂直音程といった論理の圧縮、その他多くの捨象が行われたために、機能和声やケーデンスというゲーム的な操作ができるようになっている。

つまり、記号化することで操作がしやすくなって、さらに、操作をすることで生まれる音楽がある。同様に、操作をすることで生まれる歌詞もあるだろうというのが僕の考えです。


さて、僕から提案できる、歌詞の創作において記号化をするための視線の持ち方に、

  • 韻律の操作
  • 音韻の操作
  • 語彙の操作
  • 意味の操作

の操作があります。

音韻の操作、畑亜貴さんがいかに神か、イカ娘は関係ないような、あるような…

では歌詞を記号的に見るとはどういうことか。
TVアニメ版 宙のまにまにからOP曲「Super Noisy Nova」*2を引用します。引用箇所は1番サビです。なお、英語表記をカタカナに変えてあります。

遠く遠くへと 伸ばした手に触れたのは
知らない夜 突然生まれた スーパーノバ
何億光年 頭の中では ネイバースター
眺めるほど目に力宿る
だってだって私も ひとつの星だから
(作詞:畑亜貴

Super Noisy Nova スフィア - 歌詞タイム

重複している音に注目してみると、「ト」の音が繰りかえされているのがわかります。
[とおく:トおくへト]
手順として、このようにまず「同じ音」に注目します。

次に、僕の個人的な感覚にもとづきますが、音楽理論の比喩によって、ここでは2階層の理解をすることができます。

  1. トの音で始まりトの音で閉じられているという「終止感」がある。つまりトの音を軸にした「調性感」がある。
  2. 「トおく:トおく」という反復によって「調性感」がより強調されている


ここでは、作詞の畑亜貴さんが歌詞を調性音楽の比喩として扱っているのではないかという仮説がなりたちます。そうだとすると、次の理解はこうなります。


ここではノバで始まりノバで閉じられるフレーズが置かれています。
[ノバした:すーぱーノバ]
原曲の歌詞表記では Super-Nova とアルファベット表記されていることから、畑亜貴さんの本作の歌詞においては

  1. 「伸ば:Nova」が音韻の記号としては等価な意味を持たされている
  2. 意味や語彙の記号としては差違を保存している

ということが言えると僕は思います。
論理をうらがえすと、畑亜貴さんは音韻、意味や語彙の記号的操作を確かにしていると思うよ、ということです。

まとめ

前半では歌詞における和声の話をするつもりが、後半の例がなぜか歌詞における調性の話になっちゃいましたw。Super Noisy Nova のすばらしさについて書きたかっただけです。
なんていうか、すごく言いにくいんだけど……議論の誘導があんまりうまくないですね!
調性の話もこんど書いておきます。

*1:現状での僕の理解をここに記録しておきます。記憶の中の『二声対位法』(池内友次郎、音楽之友社、1965年)、『和声 理論と実習』(島岡譲ほか、音楽之友社、1964年)などによるので、本書を手に入れて読み返したらまた正確な引用と検討ができると思います。それも含めて、今のおおづかみな考えをさらしておきます。

*2:作曲:rino、編曲:虹音、歌:Sphere、GloryHeaven、2009年