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フシギにステキな素早いヤバさ

フシギにステキな素早いヤバさを追いかけて。俺は行くだろう。

10月31日はゴンブリッチ『美術の物語』を読もう。DESK/okumuraで。

今週の土曜日にDESK/okumuraにて14時からレクチャーを行います。

yaoki.hatenablog.com

皆さんはすでに本書を手に入れて読み進めている頃かと思いますので、簡単にガイドを引いておきたいと思います。

以下は講師である iX from the 8R 氏からのメッセージです。

歴史的事実を見ること

美とは何か?

もしあなたが美術家で、その問いにとらわれているのなら、あなたは歴史を学ぶべきです。なぜか?

あなたの問いは、当然ですが言語的な問いであり、それに感性が答えることは原理的にいって不可能だからです。

なぜ感性が答えることができないのか?

感性とは非言語的な活動であり、対して、問いは言語的な活動だからです。

ではあなたの問いに答えるためにはどうしたらいいのか?

あなたの問いは理性の領域に属しています。つまり、言葉を用いて問い、それに答えようとする営みこそが我々が「理性」と呼んでいるものであり、その営みの積み重ねが「歴史」と呼ばれるものだからです。

だから歴史を学ぶ必要があるのです。

以下で書くように、「美とは何か?」という問いに対して、なんとなくの思い込みで答えようとすることは、あなたのやりたいことから離れてしまうことではないでしょうか?

エジプトとギリシャ

ここで『美術の物語』に目を移してみましょう。

我々は、古代の芸術に対してある種の誤解を持っていることを認めねばなりません。つまり、エジプトのような記号的な美術は、幼児が描く作品のごときプリミティブな表現技法であって、対してギリシャの写実的だと我々が感じている美術は、観察に基づいたソフィスティケイトされたものであると。

しかし、そういった直感は歴史的事実とは異なるーーつまり、エジプトの美術はそれ自体、洗練された様式であり、そしてその様式はギリシャ美術に受け継がれ発展した-ーとゴンブリッチは主張します。

「美とは何か?」という問いに対して、誤解を持ったままでは、価値のある回答はできません。人体構造やマテリアル、あるいは透視図法に関する正確な知識を持つことで、視覚芸術としての美術を理知的に作ることができるように、歴史的な知識はあなたの問いに答えるための基盤となるのです。

感性と理性は両立する

このことは私が過去に繰り返し書いていることですが、日本では教育において感性と理性を対立させる傾向があります。

でも私は、感性と理性が本来両立するものだと考えます。少なくともアートにおいて、その統合こそが重要であると。

我々は世界を感性によって捉えます。同時に、理性によっても捉えます。

ご飯について考えてみましょう。つまり我々が普段作ったり食べたりしている味噌汁の、その味について我々は感性的に判断しますが(薄い/濃い)、一方でレシピという表現を介して形式的に--つまり言語的≒理性的に--伝えることもできます。

ふたつの行為は料理において不可欠なものであり、また相反するものだと考える人はいないでしょう。同様のことが、美術にもいえるはずなのです。しかし実際には、美術に限っていえば、「感性」と「理性」は相反するものと考えられているのです。

おかしいですよね?