フシギにステキな素早いヤバさ

フシギにステキな素早いヤバさを追いかけて。俺は行くだろう。

僕の歌詞の書き方

僕の歌詞の書き方にはふたとおりあります。

  • 気合いを入れて、エイッと書く(気合い作詞法)
  • 街を歩いているときに、風景の中に詩的なことばを見いだす(文学的作詞法)

経験的作詞法

これらは、僕が初めに歌詞というものを書き出すことになったいくつかの経験と結びついています。

  • 口からでまかせで歌う(気分的作詞法)
  • 英作文をする(英作文的作詞法)
  • 替え歌をする(替え歌的作詞法)

口からでまかせで歌う

過去の僕は海辺を歩きながら歌いました。具体的には、心に浮かぶよしなしごとと、目の前に現れ消えていく風景とがことばとイメージの化学反応を引き起こすのを観察し、瞬時にそれを歌へ還元します。
小中学生だったころは、メロディーはどうでもよく、とにかく歌詞というメディアをつかってつまらないテーマをことばにするのが好きだったような気がします。

  • 僕はおなかがすいている
  • 僕はゆうこちゃんが好きだ
  • むこうから猫がくる
  • トラックが道の真ん中をすごい速さで走ってくるので危ない
  • ゆうこちゃんの鞄の色の淡い黄色が好きだ
  • あと、ゆうこちゃんの頭や肩から立ち上る石けんみたいな匂いが好きだ

といったことがテーマとなりうるでしょう。
今ではTwitterが似たような言語化ツールの機能を果たしているかもしれません。
こんなつまらない話、友だちにきかせるわけにもいかないし、文章にするほどでもない。泡となって消えていってほしいけどことばにすることで吐き出される小さな感動たちを表現させるのは、歌詞というメディアの大切な機能だと信じます。
たんにことばによって分節されても日常のささやかな光景は面白みがないとき、歌のことばがひょっとしたらあなたの生活を面白く分節し、セカイにきらめきを与えるというのはときどきあることだと思います。

英作文をする

僕は中学に上がり、ビートルズの歌詞を理解するために一生懸命英語を勉強しだしたのですが、英検の試験対策をする過程で知っていった面白みがありました。
それは、英作文による疑似創作の思考です。
すなわち、

Ken is the tallest boy in our class.

といった例文が与えられたときに、クラスの担任で長身の恵子先生の名前を代入し、

Keiko is the tallest in the world.

という作文をすると、がんばりノートに先生が「ちょw、ケイコって誰よー 世界一じゃないしw」と赤ペンでコメントをつけてくれました。
数式とは違い、適当に単語を入れると構文としては勝手にセカイが成立してしまう英作文というのは、僕にとってとても面白い疑似創作ツールでした。
すなわち、

Keiko sang a song the best at last Kouhaku.

と書けば、ケイコ先生が紅白歌合戦に出場したことになり、しかも歌がとてもうまかったことになってしまう。
僕の個人的な「詩歌」というものの成立についての把握は、このようなことばの操作によってセカイが生み出されること、これまでになかったやり方でセカイが把握されることとして現れたのでした。

替え歌をする

あとで書く。