フシギにステキな素早いヤバさ

フシギにステキな素早いヤバさを追いかけて。俺は行くだろう。

L'Arc〜en〜Ciel 「 the Fourth Avenue Cafe 」において季節が穏やかに終わるということ

L'Arc〜en〜Ciel 「 the Fourth Avenue Cafe 」

僕のいつもの夢見るようなうわごとを記そうと思います。

とはいえ、かなり昔から考えていたりすることが多いわけで、ひょっとしたら物語を読む感度の高い人たちは(僕とは違って)様々な人生経験において、複雑で多様な物語を経験しているのかもしれません。
Wikipedia によるとみんなの大好きなTVアニメ「るろうに剣心」の主題歌になる予定だったらしいこの歌について少し書いてみます。

この曲が収録されているアルバム『 True 』はすでに早疾し15年前の12月12日に発売されたようです。このCDを友人のお姉さんに借りて、MDに移したことを思い出すような気がします。
そういえば、『 True 』は MD 版も出ていましたね。

入りサビ

きせつは おだやかに おわりを つげたね
いろどられた きおくに よせて
さよなら あいを くれた あのひとは
このひとみに ゆらめいていた

ここで印象的なのは、歌唱のレヴェルでも強調された頭韻による歌詞フレーズの対比でしょう。

  • 「おだやかに」「おわりを」
  • 「きせつは」「きおくに」
  • 「あいを」「あのひとは」
おだやかに おわりを

意味上の対比としては詩的な飛躍をはらんでいるでしょう。実際には「おだやか」+「に」という動詞にかかる連用修飾的な用法で用いられていますが、「おだやか」+「な」という連体修飾の形にして味わってみたいと思います。これは方法的な手順です。このように(数学でいう媒介変数的に「に」を「な」にして意味のはたらきを検討するために)変形することで、歌詞の意味を自分の感覚の身近なところまで引き寄せることができるかと思われます。

おだやかな おわり

ここで頭韻は「おだやかな」+「おわり」ということばのつらなりを、安定的につなぐ糊のようなものとして機能していることが語感から確認できますか。つまり、意味の理解に優先して、そこにまとまりのある安定性を感じることができますかという問いです。
次いで意味は「おわり」に係る「おだやかさ」の観念をとらえることで把握されるでしょう。普通、「おわり」とは運動や存在が停止し持続しなくなることをさします。したがって、速度や時間にかんする「ゆっくり」や「ふいに」「とつぜん」は「おわり」の感覚の観念としては居心地がよくとらえやすいものと思われます。
一方で、「おだやかな」という限定は「穏やかな雨」「穏やかな人柄」の用法に見られるように、程度にかんする問題をあつかう語彙です。「おわり」が「おだやか」なものとして捉えられるとき、それは極度ではない、適当だという感覚として現れるでしょう。私たちが措定した「おだやかな おわり」というフレーズでは、「おわり」が速度や時間の感覚ではなく、程度の問題として感覚されているのです。

僕が詩的な飛躍と述べたのはこのような理由によりました。

(媒介変数として作用させていた)連体修飾形「な」を再びもとの連用修飾形「に」へ戻してみます。

きせつは おだやかに おわりを つげたね

単純に読めば、「おだやかに」は連用修飾ですから述語である「つげたね」のみに係りそうなものですが、慎重にニュアンスを取るには、

  1. 「おだやかに」が「つげた」にかかるとき
  2. 「おだやかに」が「おわりをつげた」にかかるとき

のふたつを検討する必要があると思われます。
なのですが、ここでは「おわりをつげる」というフレーズ自体が「おわる」の言い換えともとれますから、後者を重視したいと思います。

そして形式は、「おだやかに」が「おわりをつげた」という頭韻によってことばが結び合うだけではなく、主語「きせつは」が述語「つげた」と「つ」の音の共通によっても結び合っているのだということがわかります。もっというならば、「きせつは」の助詞「は」を「おわり」の「わ」と同音ではないかと疑ることもできるでしょう。

あんまりこういう書き方はしたくないものの、直観的に言って、ここで「季節」は恋の期間の隠喩でありそうです。「終わり」すなわち別れを告げたのは、恋の季節という抽象物なのか、恋愛の相手だった「あなた」という具体物なのかは判然とさせられないです。両方のニュアンスが重なり合ったレトリックと考えておけばよいでしょう。

「きせつ」ということばは始まりがあり終わりがある期間を示します。つまり季節は終わるのです。したがってここで「きせつがおわる」という表現は観念として飛躍を持つものではありません。したがって、私たちが歌詞を詞世界から受け取るさいに気をつけたいのは二点なのです。

  1. 「おわりをつげる」というレトリックがもつ擬人的にあるいは直接的に「人」を感じさせるニュアンス
  2. 先に検討したような「おだやかに」という修飾形式による、程度が問題の中心にとらえられるニュアンス

もう寝る。