ヴァルター・ベンヤミン〔擬古典主義における象徴とアレゴリー〕 from 「アレゴリーとバロック悲劇」(『ベンヤミン・コレクション 1 』所収)その1
いつでも捜しているよ どっかにきみの姿を
One more time,One more chance 山崎まさよし 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索
向かいのホーム 路地裏の窓
こんなとこにいるはずもないのに
僕は最近お風呂につかりながら、あるいは松屋でこの本を読んでいます。
なぜか?
端緒-セカンドアフター
僕が「けいおん!」という作品を愛してやまないことは周知だという信念を持ちます。同人誌『セカンドアフター』所収の「ツインテールの天使―キャラクター・救済・アレゴリー」という論考はあずにゃんを「天使」と定義しています。
『セカンドアフター』vol.1 目次 - セカンドアフター公式ブログ
本論において、執筆者である、てらまっと(id:teramat)さんは、まずTVアニメ「けいおん!」2期の最終話で集合写真を示し、
ひとつの時代が終わってしまった・・・『けいおん!!』24話最終回感想まとめ:萌えオタニュース速報
次のように「アレゴリー」という重要な概念装置を導入しています。
丸く切り抜かれたあずにゃんの顔写真が、第一期『けいおん!』の集合写真が象徴する「終わりなき日常」を地として浮かび上がる。私たちはそれが最初から二重化されていたこと、偏在する天使に見守られていたことに気づく。断片化されたあずにゃんのイメージ[…]それは、救済の寓意であり、永遠のアナグラムであり、天使の横顔が隠された判じ絵だったのである。動物的な没入ではなく、ひらめくような解読の対象としてあるもの。私たちはそれを「アレゴリー[=寓意]と呼ぶことにしよう。
[…]要するに(たんなるシミュラークルとしてではなく)アレゴリーとして経験するということは、「特殊なもの」としてのさまざまな断片を通じて、それ自体救いであるような「普遍的なもの」としてのキャラクターを直観することを意味している。したがってそれは、もろもろのキャラクター・グッズや二次創作をシミュラークルとして――とはつまりキャラ萌えの対象として――受容することとは根本的に異なった経験である。
(てらまっと「ツインテールの天使」29-30頁)
ここでは第一にデータベース的な「シミュラークル」と神学的な「アレゴリー」の概念が対比されています。てらまっとさんはキャラクターを「シミュラークル」としてで受容するのではなく「普遍的なもの」として「直観する」と述べていますが、僕にはそもそも「アレゴリー」の概念がわからないために、ベンヤミン・コレクションを買い求め読むことになったのです。
とはいえ、孤独に読んでもベンヤミンは難しくてわかりにくいことから、とりあえず1節でも読んだらここに考えを記していこうかと思ったのです。