批評と作品と社会とジャーナリズム
別件で調べ物をしていて、「東浩紀 佐々木敦」でググったら次のような記事が出てきた。
東浩紀さんが佐々木敦さんを批判している:大丈夫、慣れたから:SSブログ
この記事では、佐々木敦さんの『ニッポンの思想』(講談社、2009年)にかんしての朝日新聞のインタビューで、佐々木さんが著書の動機として「思想がつまらなくなったので、もっと『つまる』ようにしようと思った」という趣旨のことを述べているのに対して、東浩紀さんが反論するようなブログを書いたことを紹介していた。
東さんが引っかかったところ、朝日のインタビューではこうなっている。
次の時代、いわく「10(テン)年代」の批評のゆくえは?
「作家論、作品論に回帰していくんじゃないですか。構造の分析は限界にきている。頭のいい人ならだれでも言える『正解』じゃないところで、まだやれることはあると思う」
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200909170300.html
ここで用いられている「構造の分析」という語用は、ぼくには適当なのかわからない。というのは、ぼくにとって「作品論」とは「構造の分析」であるからだ。それはおそらく、東さんのいうところの「環境分析」や社会学的な知による分析のことを指しているのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
東さんは、上記のリンクを挙げて下記のように反論している(いちおう補足すると、原文を読めばわかるが、東さんは佐々木さんに名指しで直接批判されたと感じたから反論しているわけではない。佐々木さんの批判はもうすこし広い状況への批判だと理解しながら、反論している)。
最近『思想地図』やぼくの仕事に対していろいろ風当たりが強いのですが、そのひとつのテンプレとして、「あの連中は社会学的な状況分析ばかりで、強度をもった作品論、作家論がない」というのがあります。
そしてこの批判に対するぼくの答えはきわめてシンプル。
ならばあなたがやればいい。
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たとえば佐々木さんは上記インタビューで、「構造分析(おそらく社会学的な知のことを指しているのでしょう)ばかりで作品論(これはポストモダニズム的あるいは表象文化論的な知のことだと思います)がないのはつまらない」とおっしゃっている。まあそれはいいです。しかし、それならば、まずご自身が刺激的な作品論、作家論を書いて、そんな閉塞状況を身をもって切りひらけばいい。
東さんにとっては、これまでご自身がやってきたとおり、先行する批評に対する不満があったからこそ、「ならぼくがやればいい」というスタンスを貫いてきた。それを率直にいっているのだろう。
この数年でもっとも成功した「作品論」が、じつは佐々木さんやその周辺がお嫌いな宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』だったことも明らかですが、そこについての認識もどうなっているのか。ポストモダニズムとスタイルが違うからノーカウントなのか。
ボカロクリティークとかフミカとかの立ち上げは、作品論が読みたい(ボカロクリティーク)だとか、批評とかレビューについて今どうあるべきなのか、どうあって欲しいのかイチから考えたい(フミカ)というのがあって、はじめた。いろいろ人に言ったり言わなかったりする不満があるのだが、東さんのおっしゃるとおり、できるかよく知れないけれどとりあえず、不満があるなら自分でやるしかないということでやっている。
愚痴以上(愚痴とかいうのも人として生きていくには大事だと思うので)では、あえて不満をはいても仕方ないとおもってるので淡々とやっていくしかない。
うぐぅ。
10年代批評は結局どうなっているのか
佐々木さんは先のインタビューで(記者によると)次のようにいっている。
批評とは何か。どうあるべきなのか。「オレ様節」をきかせるのではなく、逆に客観性に徹しようとするのでもなく、その間で、軸足をどこに据えるか。自らのスタンスの模索を続けつつ、批評家講座を主宰し、大学でも教える。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200909170300.html
批評家養成ギブスは現在受講生を募集している。すでに3期生が文学フリマで文集を出し、個々でいくつかの批評家の芽は育ちはじめているようだ。だが、佐々木(だけではないが)門下生は決してひとつの潮流を形成しているわけではない。その関心や方法論のばらつきようについては、『フミカ』で書いた。それがひょっとしたら佐々木さんの願うところなのかもしれないし、単に授業の空気なのかもしれない。
http://www.eigabigakkou.com/critic_application
かたや東浩紀のゼロアカ道場、思想地図が生み出した潮流はどうなっているか。
直接関係があるかちょっと自信ないけど、濱野智史さんの『アーキテクチャの生態系』をぼくは大きい成果と見ているが、村上裕一さんが『ゴーストの条件』を出版し会社を設立。藤田直哉さんが『虚構内存在』単著を出版。BlackPastの坂上秋成さんが『惜日のアリス』を出し、音楽では仲山ひふみさんや八木皓平a.k.a.らぶしどさんが『ユリイカ』に寄稿。
(らぶしどさんはゼロアカ圏に組み入れていいか微妙だが)
関係者、門下生たちについては商業出版界に大きく食い込んでいるように見える。
また、ゲンロンについてはアクチュアリティの高い領域にどんどん踏み込んでいっているように見える。
なお、『筑波批評』も今後動きあるとかないとか聞くので期待。
10年代のジャーナリズム
最近シノハラユウキさんの家に泊まったときに、修学旅行の中学生のように、憧れる批評とか文化の潮流について寝ながら会話をしていて、自分が最近注目していることを話したら、それはジャーナリズムだよねって感じのことを言われた。
ねとぽよ
たとえばねとぽよはついに先日ウェブメディアをスタートしてしまった。
界遊
界遊の動きも依然面白い。とくにhttp://recode.jpの活動が興味深い。
KAI-YOU.net(カイユウ)- 世界と遊ぶポップカルチャーメディア
ネット絵学
recodeと関わりのある百化の『ネット絵学』の活動も面白い。
DID
『イメージの進行形』の渡邉大輔さんと関わりのあるDIDの活動もなんか面白くなりそう。
眼科画廊
眼科画廊界隈の動きは展覧会、イベント等観察対象である。
週末思想研究会
つねに悩み迷走する姿が魅力の「疾走する混沌」。未だに何をやっているのかわからない週末思想研究会はウォッチ対象である。Twitterにも書いたけど、世界のつまんなさ、生きるゆきづまりに不平不満を吐いて迷走していくてらまっとさんを始めとするメンバーの動きが魅力的。
週末研をジャーナリズムに組み入れていいのかもよくわからないが、ゲンロン同様にコミットメントとかアクチュアリティへの志向がかいま見られるので。
アーティスト集団、イベンターになる契機も秘めている団体。
ちなみにぼくは週末研のフォロワーではあるが、平日思想研究会に所属しています(つもり)。
Book News
これについては説明不要か。
zigg
いま一番注目しているのはMISUMIさんが編集長をつとめるzigg。
ねとかるもアンテナが非常に鋭くて面白かったけど、ziggの立ち上げはすごいなと思った。
サブカルチャーというよりは、アキバ系オタクカルチャー、アイドル文化圏、オルタナティブなアートの動向、原宿系ファッションなどが「kawaii」というタームを通じて統合されている。
borutanext5、愛☆まどんな、でんぱ組.inc、悲なみちゃん、maltine recordsなどぼくが面白いと感じている要素がたくさん入っている。
昔ぼくは(いまもだが)『Zipper』というファッション誌が好きで、特にyoppyというモデルさんが好きだったのだが、ziggとかきゃりーぱみゅぱみゅ、borutanext5などの組み合わせは新しいZipperキターという風を感じたものである。
MISUMIさんによるきゃりーぱみゅぱみゅ振り返り
読んでね。
結局ぼくはどうしたらいいのか
とりあえずヒップホップのアルバム作ってマンガ描きます。
来年ぐらいに小説も書きます。
フミカと筑波批評もがんばります。