【読書メモ】アートの批評について。ノエル・キャロル『On Criticism』
以前読んでいた Noël Carrol『On Criticism』が昆虫亀さんによって翻訳されたようです。
嬉しい。
そこで、以前に原著を読みながらメモしたノートをこの機会に公開したいと思います。私的メモなので間違いもあります。
ぜひ訳書買って読みましょう。
[翻訳]On criticism. Noël Carroll. 2008
(批評について)
On Criticism (Thinking in Action)
- 作者: Noel Carroll
- 出版社/メーカー: Routledge
- 発売日: 2009/06/02
- メディア: Kindle版
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TL;DR(要点)
• 本書は、作品をアートとして価値付けることこそがクリティシズムの最も重要な仕事であると主張する。また作家の意図 intention を重視する。
• 一方、他の主要な批評理論はポリティカルな価値付けの方が重要と考えている。なおかつ作家の意図は重視しない。
• アートの価値付けを行うためのツールとして次の6つの方法がある(訳語は森功次を参照)。
• 記述 description
• 分類 classification
• 文脈化 contextualization
• 解明 elucidation
• 解釈 interpretation
• 分析 analysis
• p.8の後半で各章の位置づけが書かれているのでそこから読むのがオススメ。
著者
ノエル・キャロルは哲学の教授。ニューヨーク市立大学大学院センター勤務。
表4言
クリティシズムはギリシャ語の kritikos に由来し、「判定を下す者」という意味を持つ。ところがアートクリティクスの実践に関するアンケートでは、75%が「批評家の仕事の中でも、アートワークを評価することは最も重要度が低い」と答えている。
本文:私訳
以下は基本的に要旨ではなく、島袋八起による読書メモとしての私訳である。
イントロダクション
要旨:
p.1
本書はひとつの実践としてのクリティシズムの哲学、あるいはかつてメタ=クリティシズムと呼ばれたものである。アートの哲学(または美学)の一部門であり、対象にアートのクリティシズムをとる。
p.3
クリティシズムの哲学のマントルに言及することで、私がアートクリティシズムの実践を再構築しようとしているのだということを注意したい。私の狙いはフレームワークを開発しようということで、それによりクリティシズムの実践が実際に知的で秩序づけられたものとして行われるものを作りたい。
p.5
一般的な批評理論は第一には解釈の理論である。彼らは意味を、症候的意味までも含めて、作品から取り出そうとする。彼らは解釈こそがクリティシズムにおいて最も重要なタスクだと考えている。一方、私は価値付けこそがクリティシズムの本質だと考える。特にアートのカテゴリにおいて。私は各理論についても、それらが解釈をメインに置いてるとしても、価値付けを含んでいる限りは本書で取り扱う。
(中略)
他の批評理論と私の違いは、アートとしての価値付け(アーティスティックなカテゴリーの光の中での価値付け)を基礎としている点だ。一方、主要な批評理論は第一にはポリティカルな価値付けに裏付けを与えるもので、それらはむしろアーティスティックな価値付けにしばしば懐疑的ですらある。
(中略)
アーティスティックな価値付けはアートワークの批評においてつねに適切であるが、優勢な批評理論の多くがそうではない。
p.6
歴史的にクリティシズムは価値付けとともにあった。
p.8
私の観測範囲からこぼれ落ちる「クリティック」には消費者レポーターが入る。すなわち自分の好み/好みでないを記録することで、レポートの読者があらかじめそのショーや本や映画が自分の好みに当てはまるかどうか知るのに役立てるものだ。また、別の種類のクリティックなりそこないにはある種のライターがいる。手近なアートワークを、馬鹿にするいい機会という以外には何の目的もなく書く者、例えば新しいテレビシリーズの始まりを、気の利いた面白いことを言う機会だとしか扱わない者。これは皮肉であって、クリティシズムではない。
(中略)
「クリティシズムは、本質的に、論理的思考にもとづいた価値付けである」という仮説によってこの本はまとめられている。第1章ではこの立場を擁護する。
第2章はクリティシズムの対象について述べる。アートワークにおいて何に価値があるかは、私の見方によれば、作家がその作品で何を達成したかと関連している。私はこれを「成功価値 success value 」と呼びたい。そして、この成功価値の重要度を、「受容価値 reception value 」、すなわち観客がその作品を見た経験から引き出した価値よりも高いものとして、擁護したい。
p.9
第3章はクリティシズムの構成要素を並べ立てる。ただし価値付けのみ除く。そしてこれらのクリティカルな活動がそれぞれどのような性質を持ち、どのような潜在的問題を持っているのかを検討する。
価値付けがクリティシズムにおいて最も重要な役割なので、その問題や見込みを検討するにあたってまるまる一章を費やす意味がある。これが第4章で、最終章でもある。この章で持ち出される問題は第一義的に「クリティシズムは客観的ではありえない」という非難と関わっている。その返答として、私は「ある種のクリティシズムは客観的でありうる」ことを示し、関連するクリティカルな実践に関しては、客観性の土台となることについて説明したいと思う。その擁護の大部分は、アートワークの客観的な分類の可能性にかかっている。すなわち、間主観的にそのアートワークがどのカテゴリーに属するかを決めることである。例えば、アートフォームにおけるメンバーシップ、ジャンル、ムーヴメント、スタイル、oeuvres、その他。なぜなら、私たちが一つのアートワークがどのカテゴリに所属するかを固定するときに、私たちはその作品がその種に適切に当てはまるかそうでないかを評価する機会を得ることができるからである。
もちろん、たとえ一つのアートワークをある種やクラスに属するための適切さを評価することが最も一般的な批評的評価の形式だとしても、時々私たちはアートワークについてカテゴリを横断した価値付けを下すこともある。従って、第4章はクロスカテゴリカルな価値付けは、少なくとも時々は、決定可能で客観的であり得るが、そうなるためにはどういう方法をとるべきかという議論で終わる。
1章 価値付けとしてのクリティシズム
要旨:
p.47
クリティシズムの最も重要な役割が「その作品において何が価値があるのかを発見すること」、そして「なぜ価値があるのか説明すること」だと主張するにあたって、私はもう一つある主張に疑問を投げかけたいと思う。つまり、クリティシズムの主要な仕事が、アーティストや作品を順位付けすることに関わっているという見方についてだ。批評家は必要に迫られて作品を比較したり対比したりもするが、その主目的は、そこにある1つかそれ以上のアーティストや作品のどこが特別なのかを照らしだすためである。
2章 クリティシズムの対象
要旨:
p.50
前章では、私はクリティシズムの役割を、作品の中の何が価値を持つ(and/or 価値を持たず)かを述べることだと主張した。
3章 クリティシズムのパーツ(マイナスワン)
要旨:
訳注「マイナスワン」は第4章であつかう「価値付け」以外を論じるという意味である。
p.84
「クリティシズムのパーツ」ということばで言いたいのは、クリティシズムの端緒を生み出すための構成要件 component operations のことである。
p.134 ショートサマリー
4章 価値付け
要旨:
p.153
この本で展開されている見方は「理性に基づいた価値付けが本質的に重要である」ということだ。アートワークに対する批評的な評価は、記述 and/or 分類 and/or 文脈化 and/or 解明 elucidation and/or 解釈 and/or 分析 をアートワークに行うことによってもたらされる。
例えば、マークモリスの…
p.162 後半
すべてのクリティシズムは主観的であるという結論の導き方は次のようになる。すべてのクリティシズムは趣味 Taste における実践である。すべての趣味は主観的である。従って、すべてのクリティシズムは主観的である。
しかしながら、すべてのクリティシズムが趣味における実践ではない。従って、上述の最初の前提は否定される。
参考文献
• 森功次、「2014年夏学期レポート課題『美学I』『美学III』、 http://d.hatena.ne.jp/conchucame/20140731/p1 、2014年7月31日公開、2016年02月27日最終閲覧。