Wikipedia『芸術の言語』訳してみました
経緯
シノハラユウキさん企画による、ネルソン・グッドマンの『Languages of Art』(1976年)の読書会に誘っていただきました。その準備として、とりあえず全体を見てみようかと思ってWikipediaの同書にかんする項目を訳してみました(日本語版がなかったので)。
美学、哲学の知識がぜんぜんないため、誤訳や用語の訳し方が一般的でないことがあると思います。
特に最後の項が意味もわからないしうまく訳せません(i_i)
訳においては下記ブログも参考にさせていただきました。
グッドマンの美学 (うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ)
訳
Languages of Art - Wikipedia
(2012年7月22日取得。Wikipediaによると「このページが最後に更新されたのは2011年3月3日20時56分です」となっています。)
http://en.wikipedia.org/wiki/Languages_of_Art『芸術の言語』
導入
『芸術の言語:象徴にかんする理論へのアプローチ』(私訳)はアメリカの哲学者ネルソン・グッドマンによる書籍である。同書は、分析(哲学)的伝統における20世紀美学のなかでも最も重要な仕事のひとつだとされている。初版は1968年で、1976年に改訂された。グッドマンはこれらの理論を、その後の研究活動においてもエッセイ形式でひきつづき洗練させ、更新しつづけた。
象徴にかんする一般理論
『芸術の言語』とは、一見すると単に芸術の哲学についての本にすぎないように見える。だが同書のイントロダクションにおいて、グッドマンは、タイトルで用いられている「言語」ということばで意味されているのは一般的な「記号システム」のことだと書いている。同書の中心的な命題は、参照という概念にかんしてである。
「類似」対「表現」
同書の最初のセクションにおいてグッドマンは、何かが何かを表現するために、表現する方は表現される方に類似しているだろう、というよく知られた想定のばかばかしさについて論証している。彼はそれをコモンセンスと数学的な関係性理論との両方に対して訴えることによっている。そして代わりに、表現とは恣意的な表示の特徴的なタイプと考えられると主張する。
「表示」対「例示」
「表示」と「例示」はいずれも参照のひとつの形式である。グッドマンは表示を「表現の核」と呼んでいる(同書5ページ)。何かがラベルによって参照される場合、それは表示されてはいるが(そのラベルを)所有しているというわけではない。
例示とは、所有に参照を足したものだ。「ほかの全てのものが表示可能であるが、ラベルだけは例示されるのみだ」(同書57ページ)
atakadaさんのブログ(グッドマンの美学 (うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ)によると、reference 指示、 denotation 表示、 exemplification 例示、posession 所有と訳されています。その語用を参考にさせていただきました。また、2010-02-23 こちらのブログでは denotation を外延指示としているようです。)
真正性:「オートグラフィック」対「アログラフィック」
同書のこのセクションにおいて、グッドマンは芸術の哲学における特有の問題に注意をうながす。すなわち、絵画は偽物をつくることができるのに、音楽作品はそれができないのはなぜか? (絵画においては)実際に改変後には、オリジナルと偽物の間には重要な美的差異が生じるため、その本質を明らかにする。グッドマンはその問いにひとつの回答を提案する。彼によれば、芸術の形式をとった作品については、どれが真正な作品でどれがそうでないかを特定するための表記法がないときにのみ、偽物を作ることが可能である。
いいかえれば、音楽作品は楽譜として表記することが可能であり、そのため楽譜に対する適切さに結びつけて聞かれる演奏は、それによって真正性を考慮される。一方、絵画作品においてはどれが真正な実例でどれがそうでないかを定義するような表記法がないため、偽物が制作されうるのだ。表記法の理論
同書の重要なセクションである同章において、グッドマンは前章で導入した表記法のシステムについての考えを拡張する。グッドマンにとって、表記システムとは統語論的規則と意味論的規則によってなりたつ文法を持っている形式言語である。表記システムは特定の所有物と対応するときに限り、とくに象徴が非コンパクト空間(離散空間?)であるとき、記号表記可能だと呼ばれる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Languages_of_Art楽譜、スケッチ、スクリプト
グッドマンは、音楽や劇場パフォーマンス、ドローイングとペインティング、ダンスと建築の一般的な表記手法について判断する。どの芸術形式も彼の理想的な表記法に忠実には当てはまらないが、それでもなおそれぞれの(記号化するという)目的は十分に果たしている。芸術の議論における共通の語彙に対してグッドマンが行っている批判にも関わらず、彼は「技術的な会話を書きとる緊急事態が私たちの毎日の話す活動を支配するべきだ」とは信じない。(同書187ページ)
(最後の「he does not believe that, "the exigencies that dictate technical discourse need govern our everyday speech." 」の訳し方がぜんぜんわかりません。とくに dictate と exigencies の意味の取り方が分からないです。)