フシギにステキな素早いヤバさ

フシギにステキな素早いヤバさを追いかけて。俺は行くだろう。

生きてくために生きていく

『オバケちゃんねこによろしく』という、松谷みよ子の本がある。ステキだけど悲しいお話で、とても良い物語だ。 いちおう、以下はネタバレというやつです。


オバケちゃんには癖がある。挨拶をするときに、「こんにちは。ぼくオバケちゃんです。ねこによろしく」というのだが、「ねこによろしく」ってつけてしまう理由を自分でわかっていない。あるとき、オバケちゃんは自分が、オバケになる前に、トンネルでの事故にあい、一家3名でしんでしまったのを思い出す。そのときに、助けを呼びにいってくれたのがねこだったのだ。

(あらすじあってるかな?)


新居に越して、寝ようとするとうまく寝られないのに気づいた。

部屋が明るいのだ。いつの頃からか、ぼくは寝るときの光にナイーブになっていて、部屋が明るいとうまく寝つけない。いまの部屋では、遮光カーテンじゃないほうのカーテンから夜の外の光がうっすらとはいってきて、それで寝付けない。まだ整理してない部屋のあちこちから、機械やなにかのLEDがちらつく。


沖縄で生まれ育ったこともあって、幼い頃によく母は防空壕や戦跡に連れて行ってくれた。

そのせいだ。寝ようとするとふとした瞬間に、戦没者たちや兵士の霊がそこらをうろうろしているような感覚に襲われた。

だから、その頃はまだ、暗いところがとても怖くて、寝る時は照明の小さなランプをつけないでは寝ていられなかった。母はそうやって眠れないぼくをとんとんとリズミカルにたたいて寝かしつけてくれた(だったらあんなところにつれていくなよw)


なのに、今では薄明るくても、明るい場所で寝るのが苦手だ。飲み会で眠くて寝て、ふと目を覚ますと、明かりがこうこうとついて、誰かがおしゃべりしている。そういうとき、もう二度寝ができず、ひたすら朝まで水を飲んで、帰って布団にもぐりこむ。

なんでだろう。と思う。

ふと、とても小さかった頃のことを思い出す。たぶん幼稚園か小学一年生のころだ。

かつて父は、ギャンブル癖があったらしく、母によれば、給料日にパチンコに行ってすべて使い果たしていたらしい。そして、家族に対して気まずくなって、そのまま何日も家に帰らなかったのだとか。

また、母によると、家財を勝手に質に入れてしまったり、借金をサラ金に返すために、教諭をしていた母の小学校に金を貸してくれと電話を入れたりしてたらしい。それで、いろんなことが積もって、たくさんの喧嘩をしていた。ぼくはそれをずっとずっと見てきた。

それはもう、すごく遠くに離れて薄れて行く記憶だけれど、たしかに、父は、こっそり帰ってきても家には入らずに、近所に停めた自分の小さな軽自動車で寝泊まりしたり、母が「もう許すから帰ってきて」と電話をすることで、気まずそうに帰ってくるようなことが多かった。


それで、自分の目の覚めているときはあんまり家にいなかった記憶が多い。

もちろん、土日には家族でお出かけすることはわりかしあったりして、それでも渋滞する道路の上、車内では母と父の言い争いがあったり、気性の荒かった姉と両親が喧嘩になったりという経験を数えるには、右手と左手が、10組ぐらい必要なほど、あった。

今思い返せば、それはぼくにとって、悲しく辛いことだったのだろうと思う。あまりにも日常ではあったのだけれど。

悪いことをすると、父は家に帰らなかったが、家族が寝静まったころを見計らって、家に這入ってきた。母はおおらかな人だし、低血圧のせいか、一度寝てしまうと朝まで起きなかった。しかし、ぼくは、深夜にふと気づくと、こうこうと光る青いテレビの光で目を覚ますことが多かった。見ると、父は、まるで涅槃仏のように布団のうえに寝転がり、とても小さな音量でテレビを見ていた。ぼくは、まぶしくて寝られないな、と思いながらも、いつしか寝てしまっていて、気づくと朝を迎えていた。

それが5歳か6歳の頃の記憶だったように思う。記憶はもうすでに捻じ曲げられているのかもしれないんだけれど。


自分が幸せな夫婦関係を築けるのか、とても不安になる。また、幸せな家庭を築けるのか。こどもたちを幸せにできるのか。自信がときどきなくなりそうになる。

生きてくために、生きていく。生きてるだけで、生きている。

へんな不安よりもまず、恋をして、恋人を作らなきゃならないのだが。

微かでも光のさす部屋で寝ようとするたびに、おかしな記憶が底から湧いてきて、ずっと永遠のような夜の中でごろごろと寝返りをうつ。

思えば、最近ではそうでもないのだが、満月の夜がきらいだった。月が好きな人って多いと思うんだけど、なんであれがいいんだろうと思っていたような気がする。月は眩しすぎて、星も見えづらくなるし、また、まるで液体のようにカーテンのあらゆるすきまから部屋へと侵入し、ぼくの目へととどいて眠りを妨げようとする。

そんなふうに思っていたことも長らくあった。


すでにほぼ解散してしまったバンドに、シジマというマイナーなアマチュアバンドがある。

このバンドは、レゲエやダブ、ヒップホップのリズムを基盤としながらも、同時にスタイルとしてはハードコアやエモ、ポストロック、オルタナティブロックのサウンドとアレンジ、そしてメロディは歌謡曲とJPOPのキャッチーさをうまいこと結晶化させていたバンドだった。その歌詞は、孤独とか悲しみをしりつつも、生きることに幸福を願う祈りに力強さがあり、演奏を聴くたびになみだを流さずにはいられなかったし、今でもそうなのだ。